サイトについて
阪神タイガースファンのみなさんこんにちは!このサイトではプロ野球球団である阪神タイガースの選手のプロフィールや実績などを紹介しています。 球団の簡単な概要なんかも掲載しています。
鳥谷敬について
鳥谷敬(とりたにたかし)
1981年6月26日生まれ。
阪神タイガース所属のプロ野球選手。ポジションは内野手(遊撃手)。

鳥谷敬プロ入り前
3兄弟の長男として生まれる。白梅女子短期大学付属幼稚園に入園、八坂小学校に入学、小作台小学校に転校、羽村第一中学校を卒業した。小学校の時は柔道もやっていた。東村山ジュニアメッツ、小作台少年野球クラブを経て、瑞穂シニアに所属。 聖望学園高では3年夏に遊撃手兼投手として甲子園出場を果たす。初戦となる二回戦の日田林工戦ではリリーフとして登板し、最速143km/hを計測したが、敗退。
早稲田大学人間科学部に進学し、後藤武敏と並んで東京六大学史上最速タイとなる2年春での三冠王に輝き、ラストシーズンの4年秋には2度目の首位打者を獲得し、ベストナインも通算5度選出された。4年春の19四死球は2004年秋のシーズンに立教大学の多幡雄一に更新されるまで六大学記録であった。走攻守揃った大型遊撃手として同期の青木宣親・比嘉寿光・由田慎太郎らとともに中心選手として活躍、チームを4連覇に導いた。大学通算打率.333、11本塁打。早稲田大学卒業時の卒業論文は『打撃フォーム時の動作解析』。
元々は左利きだが、右利きに矯正された。また、小学生のときに柔道をやっていたため右投げである。左打ちなのは、小学生時代途中までは、右打ちだったが、弁当を食べる時、箸を左手で持って食べていたのをみた野球チームの監督が「おまえは左で打ったほうがいい」といわれたのがきっかけである。 。
鳥谷敬プロ入り後
2004年
2003年のドラフト自由獲得枠で阪神タイガースに入団。キャンプ・オープン戦から注目され、2004年開幕戦で7番ショートでスタメンに選ばれる。4月 2日、巨人との開幕戦(東京ドーム)の8回、前田幸長からレフト前にプロ初安打を放ったが、開幕6試合目から藤本敦士がショートスタメンとなり藤本が五輪期間でチームを離れるまで主にサードで出場した。五輪期間後の藤本の不振により再びショートスタメンに返り咲き、その年は最後までショートスタメンで出場した。
2005年
開幕スタメンショートを与えられ正遊撃手の藤本がセカンドにうつされた。主に二番を打っていた藤本の打撃不振によりセ・パ交流戦以降は2番に定着して全試合出場を果たし、サヨナラ本塁打を2本放つなど優勝に貢献。4月27日の中日戦(甲子園)では、味方投手の橋本健太郎がプロ初勝利を挙げたにも関わらず、ウイニングボールをスタンドに投げ込んでしまった。それもあってか同年9月19日甲子園での中日戦においては、相手投手の佐藤充のプロ初安打ボールを中日ベンチへ返している。この年のオフ、高校時代の1年先輩で野球部マネージャーだった女性と結婚していたことが報道された。
2006年
開幕スタメンショートを与えられ正遊撃手の藤本がセカンドにうつされた。主に二番を打っていた藤本の打撃不振によりセ・パ交流戦以降は2番に定着して全試合出場を果たし、サヨナラ本塁打を2本放つなど優勝に貢献。4月27日の中日戦(甲子園)では、味方投手の橋本健太郎がプロ初勝利を挙げたにも関わらず、ウイニングボールをスタンドに投げ込んでしまった。それもあってか同年9月19日甲子園での中日戦においては、相手投手の佐藤充のプロ初安打ボールを中日ベンチへ返している。この年のオフ、高校時代の1年先輩で野球部マネージャーだった女性と結婚していたことが報道された。
2007年
赤星憲広に代わって主に1番を打った。しかし、好不調の差が激しく、打撃成績は前年よりも落ち込んだ。5月24日の中日戦で、遊撃手としての連続フルイニング出場試合数を340としプロ野球記録を樹立。9月28日の398試合まで記録を伸ばしたが、その数日前に受けていた死球の影響で、翌29日に途中交代した。
鳥谷敬エピソード
昔好きだったアニメはドラゴンボール。本人曰く「主人公が強くてカッコよかった」。
兄弟3人ともイニシャルが「T・T」である。
宝物として「メジャーリーグ・スーパープレー集」のビデオがある。早稲田大学野球部で同期のメンバーから借りっぱなしだったが、入団記念にプレゼントされた。
大学時代、後輩からは「筋肉ファンタジー」と呼ばれていた。また、スポーツ科学科でサッカーの授業があり、リフティングを100回以上続けると「優」の成績がもらえるところ、鳥谷敬は200回以上延々と続けた。
視力は両眼で0.7と悪いため試合中はコンタクトレンズを使用していたが、母校聖望学園の岡本監督の勧めで、2006年1月から、東京都内にある近視治療専門クリニックで近視改善治療を受けている。
阪神では久々の生え抜きのスター候補とあって、マスコミに登場する頻度は高いが、担当記者は「口数が少なく大きいことも言わないので、原稿にしにくい」ことが悩みだという。
安田大サーカスの安田団長に似ている、とよく言われているが、鳥谷敬は少々困惑しているという。本人は「眼鏡をかければヨン様、眼鏡を外せば大沢たかお」と言っていた(赤星談)。
同僚の赤星や秀太と銀座のクラブのパーティーに参加した時、赤星がとある大物俳優に「腕相撲勝負をしよう」と絡まれ、怯んだ赤星に「僕がやります」と助け舟を出し、赤星に代わって腕相撲をしてその俳優に勝利した(ジャイケルマクソンにて陣内智則談)。
同僚の葛城育郎や藤本敦士と仲が良く。藤本がオールスターゲームでサヨナラ打を放った時、ベンチで飛び上がって喜ぶ鳥谷の姿がテレビに映し出された。
鳥谷敬(とりたにたかし)
1981年6月26日生まれ。
阪神タイガース所属のプロ野球選手。ポジションは内野手(遊撃手)。

鳥谷敬プロ入り前
3兄弟の長男として生まれる。白梅女子短期大学付属幼稚園に入園、八坂小学校に入学、小作台小学校に転校、羽村第一中学校を卒業した。小学校の時は柔道もやっていた。東村山ジュニアメッツ、小作台少年野球クラブを経て、瑞穂シニアに所属。 聖望学園高では3年夏に遊撃手兼投手として甲子園出場を果たす。初戦となる二回戦の日田林工戦ではリリーフとして登板し、最速143km/hを計測したが、敗退。
早稲田大学人間科学部に進学し、後藤武敏と並んで東京六大学史上最速タイとなる2年春での三冠王に輝き、ラストシーズンの4年秋には2度目の首位打者を獲得し、ベストナインも通算5度選出された。4年春の19四死球は2004年秋のシーズンに立教大学の多幡雄一に更新されるまで六大学記録であった。走攻守揃った大型遊撃手として同期の青木宣親・比嘉寿光・由田慎太郎らとともに中心選手として活躍、チームを4連覇に導いた。大学通算打率.333、11本塁打。早稲田大学卒業時の卒業論文は『打撃フォーム時の動作解析』。
元々は左利きだが、右利きに矯正された。また、小学生のときに柔道をやっていたため右投げである。左打ちなのは、小学生時代途中までは、右打ちだったが、弁当を食べる時、箸を左手で持って食べていたのをみた野球チームの監督が「おまえは左で打ったほうがいい」といわれたのがきっかけである。 。
鳥谷敬プロ入り後
2004年
2003年のドラフト自由獲得枠で阪神タイガースに入団。キャンプ・オープン戦から注目され、2004年開幕戦で7番ショートでスタメンに選ばれる。4月 2日、巨人との開幕戦(東京ドーム)の8回、前田幸長からレフト前にプロ初安打を放ったが、開幕6試合目から藤本敦士がショートスタメンとなり藤本が五輪期間でチームを離れるまで主にサードで出場した。五輪期間後の藤本の不振により再びショートスタメンに返り咲き、その年は最後までショートスタメンで出場した。
2005年
開幕スタメンショートを与えられ正遊撃手の藤本がセカンドにうつされた。主に二番を打っていた藤本の打撃不振によりセ・パ交流戦以降は2番に定着して全試合出場を果たし、サヨナラ本塁打を2本放つなど優勝に貢献。4月27日の中日戦(甲子園)では、味方投手の橋本健太郎がプロ初勝利を挙げたにも関わらず、ウイニングボールをスタンドに投げ込んでしまった。それもあってか同年9月19日甲子園での中日戦においては、相手投手の佐藤充のプロ初安打ボールを中日ベンチへ返している。この年のオフ、高校時代の1年先輩で野球部マネージャーだった女性と結婚していたことが報道された。
2006年
開幕スタメンショートを与えられ正遊撃手の藤本がセカンドにうつされた。主に二番を打っていた藤本の打撃不振によりセ・パ交流戦以降は2番に定着して全試合出場を果たし、サヨナラ本塁打を2本放つなど優勝に貢献。4月27日の中日戦(甲子園)では、味方投手の橋本健太郎がプロ初勝利を挙げたにも関わらず、ウイニングボールをスタンドに投げ込んでしまった。それもあってか同年9月19日甲子園での中日戦においては、相手投手の佐藤充のプロ初安打ボールを中日ベンチへ返している。この年のオフ、高校時代の1年先輩で野球部マネージャーだった女性と結婚していたことが報道された。
2007年
赤星憲広に代わって主に1番を打った。しかし、好不調の差が激しく、打撃成績は前年よりも落ち込んだ。5月24日の中日戦で、遊撃手としての連続フルイニング出場試合数を340としプロ野球記録を樹立。9月28日の398試合まで記録を伸ばしたが、その数日前に受けていた死球の影響で、翌29日に途中交代した。
鳥谷敬エピソード
昔好きだったアニメはドラゴンボール。本人曰く「主人公が強くてカッコよかった」。
兄弟3人ともイニシャルが「T・T」である。
宝物として「メジャーリーグ・スーパープレー集」のビデオがある。早稲田大学野球部で同期のメンバーから借りっぱなしだったが、入団記念にプレゼントされた。
大学時代、後輩からは「筋肉ファンタジー」と呼ばれていた。また、スポーツ科学科でサッカーの授業があり、リフティングを100回以上続けると「優」の成績がもらえるところ、鳥谷敬は200回以上延々と続けた。
視力は両眼で0.7と悪いため試合中はコンタクトレンズを使用していたが、母校聖望学園の岡本監督の勧めで、2006年1月から、東京都内にある近視治療専門クリニックで近視改善治療を受けている。
阪神では久々の生え抜きのスター候補とあって、マスコミに登場する頻度は高いが、担当記者は「口数が少なく大きいことも言わないので、原稿にしにくい」ことが悩みだという。
安田大サーカスの安田団長に似ている、とよく言われているが、鳥谷敬は少々困惑しているという。本人は「眼鏡をかければヨン様、眼鏡を外せば大沢たかお」と言っていた(赤星談)。
同僚の赤星や秀太と銀座のクラブのパーティーに参加した時、赤星がとある大物俳優に「腕相撲勝負をしよう」と絡まれ、怯んだ赤星に「僕がやります」と助け舟を出し、赤星に代わって腕相撲をしてその俳優に勝利した(ジャイケルマクソンにて陣内智則談)。
同僚の葛城育郎や藤本敦士と仲が良く。藤本がオールスターゲームでサヨナラ打を放った時、ベンチで飛び上がって喜ぶ鳥谷の姿がテレビに映し出された。
PR